私が両手をひろげても、お空はちっとも飛べないが、飛べる小鳥は私のように、地面を速く走れない。
私がからだをゆすっても、きれいな音は出ないけど、あの鳴る鈴は私のように、たくさんな唄は知らないよ。
鈴と、小鳥と、それから私。
みんなちがって、みんないい。
「みんなちがって、みんないい」はよく知られていますが、その一行前には「鈴と、小鳥と、それから私」と書かれています。
この一文は詩のタイトルで、一番最初にいた「私」を最後に持っていきました。
「あなたがいて私がいる。あなたと私、どちらも大切」と考えた時にはじめて「みんなちがって、みんないい」という言葉が生まれてくるのです。
みすゞは、小鳥も鈴も自分そのものであり、優劣をつけるという考え方はありません。
それが個性尊重ばかり重視されると、私ばかりに重点が置かれ「みんなちがって、みんないい」の一文が、個人のわがままを助長することに繋がってしまうのです。
また、地球上のすべてのものは同等の価値を持つとの考えから、命のある、なしはまったく関係なく、どちらも尊いのです。
ですから、例えば石を見ると、その石に心がすっと移って、石の視点で世界を見ることができた。
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