永遠の未完成、これ、完成なり (大林 宣彦)
夢もまた、永遠にかなえられることなく、しかし毎日毎日、より大きく育ち、ひとの一生をより大きく育てていく。
そういう未完成の日々の集大成が、人の人生という、大きな成功像を、形成していくのでしょう。
現実とは、人生とは、じつは夢の対極にあるのではなく、私たちの夢を持続させ、育ててくれる、大きな環境であるのです。
その環境に対して上手にありがとうと言える心こそが上手な夢見人。
夢は、賢く、勇気のある人だけが見ることができるのです。
中途半端な君へ (糸川 英夫)
中途で止めたくなったら「止むを得ない環境」をつくることである。
それには他人をまきこむこと、引くに引かれない状況をつくってしまうことだと思う。
自分には苦手だと思いこんでいることの方が「打ちこみ」易いと思うのである。
私たちは人にすかれるために生きていりのではない (国分 康孝)
少しくらい人に好かれなくても、いい仕事さえしていれば必ず人が寄ってくるものである。
いくら人当たりがよくても、仕事ができないと雑談の相手にしかしてくれない。
人の足になる仕事はしないでいて、ひたすら人に好かれることばかり願い、人づきあいのハウツーばかり考えているのは本末転倒である。
人生のある時期、何かに病みつきになるこよが、しばしばある(高城 修三)
何かに強く惹かれ、夢中になってしまうのは、そこに本当の自分を見出しているからだと思う。
単におもしろかったから夢中になったにすぎない、と言うかも知れない。
だが、当初は気づかなかったとしても、時がたってみれば、夢中になったとき、無意識のうちに本当の自分を探し当てていたのだと気づくにちがいない。
参考まで