“素朴でゴツゴツした親の愛情”こそ子供に自信を与えます
子どもが意欲も活力も失ってしまっている背景に、お父さんやお母さんからの愛情不足が潜んでいるように思えてなりません。
労働環境が劣悪化し、人間関係がギスギスしている社会で親自身が体も心もぐったりし、わが子と正面から向き合い、じゃれ合うゆとりもエネルギーもない状態であることはよくわかります。
しかし、親とふれあう機会に乏しく親の愛情を実感できていない子どもは自己肯定感を育むことができず、自分に自信が持てません。
そして、常に不安で引っ込み思案になってしまうのです。
受け身の行いが多くなり、自分より弱い立場の子をいじめるようになり、子ども本来のパワフルな姿に陰りが出てくるのです。
いつの時代も、子どもはお父さんやお母さんの“素朴でゴツゴツした、原始的ともいえる愛情”がほしいと願うものなのです。
多くの大人たちは「自己愛」を「わが子への愛」と錯覚している
大人の私たちは、こと「わが子」に関しては大きな錯覚に陥りがちです。
そのいちばんの難物が「わが子への愛」に対する思い込みです。
「愛するわが子」のために、身を粉にして働き、苦しい家計をやりくりして塾通いさせ、心身が疲弊していても、気力を奮い立たせてごはんの支度をしてあげる。
しかし、そこに子どもの気持ちや立場への配慮があるでしょうか。
親の一方的な思いしか感じられません。私たち大人の「わが子への愛」とは、ひと皮めくれば何のことはない、ほとんどが「自己愛」にすぎないのです。
だから「誰のおかげで塾に行かせてもらえると思ってるの!」といった言葉が口をついて出てしまうのです。
私たちは、子どもの気持ちや立場をもう少し思いやってあげなければなりません。
勉強したのにテストでいい点がとれなかった悔しさ、勉強しなければと思いつつ、テレビを見てしまったダメな自分への嫌悪感。
「こんな失敗二度と繰り返さないぞ」と心に誓いながらも失敗を繰り返してしまう。
それが子どもの本性です。
そうした子どもの気持ちを理解してあげることこそが“子どもを愛している”ことにほかならないのではないでしょうか。
「子どものために」が「わがため」になり、「大人のために」が「子どもたちのために」もなるのです
私たちはスーパーマンではありません。
過労死してもわが子を守れ、などという精神主義が通用するはずがありません。
では、どうしたらいいのでしょうか。
結論はひとつです。
未来を生きる子どもたちを守るためには、今を生きる大人が輝いていなければダメです。
未来のために、私たちがエンジョイできることが大切なのです。
「子どものために」が「わがため」になり、「大人のために」が「子どもたちのために」もなる。
そうやって人間の幸せは創造されるのです。
出典 :子育て上手になる魔法の言葉 尾木直樹 著
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